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千のブログ

気ままでお気楽な写真と徒然の想いを綴っています。暇を見つけた時は時代小説を書いています。

お腹いっぱい御飯を食べたい! 

ジャーナリストの木村太郎さんのなさっていたお話です。
あの頃の日本人の目標は、

お腹いっぱいご飯を食べたい」

だったそうです。

それを聞いて思い出しました。
私は昭和22年終戦後の生まれです。
木村太郎さんは昭和13年のお生れです。
いつも実の姉のようにしていただいている義姉(夫の姉)も同じく昭和13年生まれ。

終戦の物のないときは小学校低学年。
いつもお腹を空かせていたそうです。
今は大阪では比較的静かなところに住んでいますが、その頃は自分の家の土地はなくなり、
坊ちゃん育ちの父と、病身の母と、長姉、義姉の下には、3人の食べ盛りの弟がおりました。
その弟達に食べさせるために、母と長姉は食べるのを我慢したのでしょうね、栄養不足で病気になり、亡くなってしまいました。
義姉はいつも、
「白いご飯をお腹いっぱい食べたい」
そう思って暮らしてきたとか。

大阪での義姉たちの生活は想像できます。大変だったと思います。
今はたくさん孫やひ孫に囲まれて、幸せそうですが、
「今はお腹一杯ご飯を食べられるね」
と、言っても、
「もう胃が小さくなって、ちょっとしか食べられない」
と言います。が、戦後の空腹を我慢した記憶は消し去ることはできないようです。
今でも、
「お母ちゃんと、お姉ちゃんに、お腹いっぱいご飯を食べさせてやりたかった」
と、そう言います。
十歳前後の食べ盛りに食べられなかった辛さは、どんなだったでしょう。

私にも実感として頷けるものです。
ただ私は、高知県の田舎暮らしでしたから、ちいさいながら畑もあったし、
目の前は太平洋。魚は捕り放題。今のように漁業組合とかはありませんでしたから。
それでも貧しかったことは覚えています。

私たち団塊の世代はこんな時代を生きてきたのです。


木村太郎さんは、
「今を見れば私たちの目標は達成できた。これからの方々は今の時代に望まれていることを目標にして!」
と話されていました。

終戦後には、最大に難しかった食料事情も、今は一部を除いては、解決されています。
それに関連して新たな問題も出てきていますが、食べる物がないなんて、
二度とこんな思いはしたくないし、させたくありません。

ただ、空腹はなくなっても、日本人の心は豊かになったのでしょうか。

注意をされたとか、ちょっとしたことで人を殺してしまったりする世の中。
あの貧しかったことを思えば、私たちも低年金で、豊かな食卓とは言えませんが、
お腹いっぱい食べられて、散歩をしたり、静かな時間を持てることに感謝をしています。



ハクセキレイ
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シジュウガラ
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二羽います、重なっているので解りづらいですが、奥の方は羽を広げて飛び立つところです。
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キビタキ♀
寒くなってくると移動です。可愛い小鳥です。
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エナガ
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2017/10/18 Wed. 00:00 | trackback: -- | comment: 10edit

コメント

おはようございます。やっと晴れましたが、つかの間の晴れ???

私はS27生まれ
子供の頃はご飯に必ず麦が入っていました。
たまにお客様が来ると白米だけのご飯=銀シャリですかね
これがまた美味しくて、おかずなんっていりませんでした。
米びつが空になることも知っていた戦後世代。食べることが精一杯だった世代です。

今の世代はまず「自己」ですよね。
でもあの時代は違ったなぁ~~ 
子供達も中学生から小学生・幼児まで一緒に遊んで色々教わった時代でした。
みんなが助け合って・・・懐かしいです。
人生で戻れる時期があるとしたら・・・ゴム草履を履いてみんなで大縄飛びしたあの時代です(笑)

cat-korokoro #PyA865YY | URL | 2017/10/18 10:23 * edit *

その年代の都会暮らしの人は大変だったことでしょうね。
私のところは田舎でそれも戦時中操業していなかった時代があったため、魚は獲り放題。当初は好景気が続きました。田舎なのにかなりいい暮らしをさせてもらいました。が、相次ぐ乱獲で資源が先細り。無理をして遠洋に出るので、必然的に海難事故も増え、なんだかんだで金が回らなくなりました。連帯保証しあっていたので、あっという間に奈落の底に落ちていきました。
そうなる前の景気の良いときに都会に出ていた我が家は、そういう苦境とは無縁でした。私自身もすっかり故郷とは縁が切れていたと思っていたのです。そこへ東北大震災と大津波とが襲い掛かってきました。
知らん顔はできませんでした。あまり浮かれてばかりではいけないのでしょうね。心は常にハングリーであるべき。そう思い知らされました。

AzTak #ba33.0Zs | URL | 2017/10/18 11:52 * edit *

コロコロさんへ

そうですねえ、あの頃は貧しかったけれど、助け合いの輪みたいなものはありましたね。ほんと今は、我関せず、みたいに見ないふり、だけでなく、
自分中心、なんか寂しいですよね。
「苦労は人を育てる」そんな言葉が懐かしいです。
確かに年代の違う子供たちが一緒に遊びましたね。
教えてもらったこともたくさん。
今の子供に言ってもわからないでしょうね。

お千 #gAPsy9.E | URL | 2017/10/18 14:17 * edit *

AzTakさんへ

確かに私も田舎暮らしでしたから、空腹だけは免れましたが、
今から見たら、物のない時代でした。
だからか、もったいない、使えるものは捨てられないなどの弊害があります。
なににしても戦後の大変な影響を受けずに過ごせませんでしたね。

お千 #gAPsy9.E | URL | 2017/10/18 14:24 * edit *

戦後 衣食住が足り生活の質も良くはなりましたが、
此れからの人は 次の目標を見つけるのが大変そうですね。
その目標はハードルが高くて
逆に一部の人しか目指せないとか…。

お腹イッパイ食べたい!
そんな時代の方が生き易いのかしら


新たな貧困層が増えているとか…。
見た目では解らないし実態が掴めないから
現代は逆に難しい世の中の様な気がします。



優 #- | URL | 2017/10/18 21:13 * edit *

優さんへ

戦後直は、ただ生きるために食べていた、今は楽しむ食事がプラスされたりしています。

今は満ち足りているようで、何かに飢餓状態のような気がしますね。
満ち足りた時代の生みだす歪みでしょうか?

私は、空腹で死んでいった人の思いを胸に、物を大切に自分らしく生きていかねばと思います。

お千 #gAPsy9.E | URL | 2017/10/19 09:42 * edit *

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# |  | 2017/10/19 15:24 * edit *

鍵コメさんへ

難しい問題ですね。
私たちは貧しさに慣れているとでも言いましょうか、 まだ一個あると思うか、もう一個しかないと思うかの感覚の違いのようにも思います。
私もたいがい少ない年金で暮らしていますが、もっとすごい人もいます。
最低限の栄養しか取らない、みたいな。買い物から食卓に並ぶ品数まで、ここまでできるんだ、と思う方もいます。
頂ける年金で、何を重要視して使うか、かもしれません。
御免なさい。お返事になっていないかもしれませんが。

お千 #gAPsy9.E | URL | 2017/10/19 20:36 * edit *

こんにちは〜

コメントをありがとうございます^_^
親戚ではなくって、同じ市内であちらは、駅前商店街。
うちは、お城がある町内なんです。

でもね、岸和田の人たちは、お正月の晴れ着は、殆どの家ではあちらのおばちゃんに仕立ててもらっていました。

私も小さなころの、おばちゃんの怖かった顔を覚えてます。^^;

あの頃は、駅前商店街も難波並みに賑わっていましたのにね……。

今はだんじりのやりまわしだけになりました。

窓 #C6mduWPs | URL | 2017/10/21 14:54 * edit *

窓さんへ

そうでしたか、早とちりでごめんなさい。
窓さんもとてもセンスがあるので、なるほどなあと思ったもので。
そうですねえ、大型のショッピングセンターができて、街の賑わいが変わってきました、いいのか悪いのかわかりませんが。
昔の各々の町の小さな賑わいが懐かしいです。
私、ウインドショッピングが大の苦手で、目的の店のみで、用を済ませてさっと帰りますので、流行やら便利グッズには超疎いです。

お千 #gAPsy9.E | URL | 2017/10/22 08:21 * edit *

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