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千のブログ

気ままでお気楽な写真と徒然の想いを綴っています。暇を見つけた時は時代小説を書いています。

人の人生は不公平 

私には従兄弟(従姉妹)がたくさんいる。
父方に、12人。
母方に、8人。
計20人。

父方も母方もみんな仲が良い、戦中戦後を助け合って生きてきたせいもあると思う。
だから何かというと親の兄弟姉妹が集まるから、その子供たちとの交流も生まれる。
しかも年齢が似たり寄ったり。

よく従兄弟(従姉妹)たちが泊まりにきたり、こちらからも泊まりにも行く。
兄弟姉妹より遠くて、友人よりは近い存在でもある。
兄弟姉妹が増えたようで、楽しい。

伯父(叔父)伯母(叔母)の家は、我が家より少しは気を遣うけど、
他人の家よりは随分居心地がいい。

私たちは小さい頃から、小さな社会勉強をさせてもらったような気がする。
社会に出ておどおどしなくてすんだのは、この教訓が生きていたかもしれません。
社会に出て一番気を遣うのは仕事を覚えるより、人間関係でした。
この人間関係を、小さいうちから、少しずつ学ばせてもらっていたような。

私たちの従姉妹、従兄弟はほとんど私と同じ環境でしたが、2組だけ違っていました。

ひと組は父のすぐ下の妹の家。叔父が傷痍軍人として帰還して、叔母が生活を支えていましたが、
昭和30年代の初め頃、その怪我が原因で叔父は亡くなりました。
叔母はその土地では生活ができず、子供たちを連れて、大阪に行ってしまいました。

もうひと組は、父の兄の家。我が家の本家に当たる家です。
父は三男坊でしたが、長兄は夭折、次兄は終戦の2年ほど前戦死していました。
だから父が一番の年長者でしたが、亡くなった次兄には男子と二人の娘が残されていました。
父の母は、当然のごとく次兄の家族と暮らしていましたが、大人の男手はいません。
父は次兄の男の子が一人前になるまで、次兄一家とは共に生活しました。
でもひとつ屋根の下に住んでいたのではありません、隣同士、とか、前と後で暮らしました。

従って、この家の従姉妹、従兄弟とはほとんど兄妹同様に大きくなりました。

この両家の従姉妹、従兄弟たちは高校に行けませんでした。
あの頃はみんな貧しかったのですが、私たちの親せきはもっと貧しかったのです。
父のいた私たちでさえ、上二人は行けましたが、私と弟は難しいような状態でしたから。

そればかりでなく、本家の男の子は還暦の頃、下の女の子は、還暦を少し過ぎた頃、病気で亡くなりました。
その前にその母、本家の嫁(伯母)は子供たちが成人して少したった頃、交通事故で亡くなっていました。
この従姉妹たちは小さい頃から父が無く、母も早くに亡くなり、自分たちもまだ初老というには早い年で、逝ってしまいました。

その他の従姉妹、従兄弟たちは、元気で、家庭を持って、孫たちと幸せに暮らしている人が多いのです。
私たち兄弟を入れて24人、この本家の二人の従兄(従姉)だけは貧乏と病気に苦しんだ短い生涯でした。

私の身の回りの、狭い環境のたった24人の中でも、この2人を見ていると、人の人生はとても不公平に感じます。

短くても、病気でも、幸せと感じた年月が少しでも長くあったことを、願わずにはいられません。


クロアゲハ
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ウチワヤンマ
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メジロ
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ちょっとびっくりしているような。
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いつも可愛いメジロですが、時々怖い顔も見せます。
自然界は厳しいのでしょう。
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2017/09/07 Thu. 00:05 | trackback: -- | comment: 8edit

コメント

長くても短くても、お亡くなりになるまでがその方の寿命。寿命が尽きるまで、精いっぱい生きなくてはいけませんよね。
私の父の家は貧乏で、父のおじが代議士だったにもかかわらず、大学への進学などおぼつかず、当時は給費学生の扱いだった神戸商船に進みました。そこを繰り上げ卒業させられて、軍属となり、船を一艘任されたものの、敗色濃厚な情勢。逃げて逃げて逃げまくったにもかかわらず、撃沈され、奇跡的に救助され、入院中に終戦。
戦後、漸く生活が落ち着き、息子の私に、坊ちゃん学校とされた高校への進学を勧めました。父は、優秀でもない従兄弟たちが全員大学に進学するのを見て、本当に悔しかったのでしょう。その気持ちがわからないでもなかったので、勧めた通りの学校を選択しました。
いよいよこれから花咲く48歳だったはずなのに、胃がんであっけなく死んでしまいました。どんな人生模様だったのかなと、今でも思うのです。

AzTak #ba33.0Zs | URL | 2017/09/07 09:06 * edit *

AzTakさんへ

やっぱり戦中戦後はその影響をもろに受けていたのですね。
無事に帰って来られても、生活苦が付いて回ったようです。
病気もありますし。
私と弟は高校進学を諦めるところでしたが、担任の勧めで育英会の試験に通り、学費免除とその他の費用は奨学金を受けて無事社会人になりました。
私は20代で、仕事を辞めて、社会への恩返しはほとんどできませんでしたが、弟は立派に恩返しができたと思っています。
お父様早世で、残念でしたね、そのぶんAzTakさんがしっかり生きてこられて喜んでおられるのではと思います。

お千 #gAPsy9.E | URL | 2017/09/07 14:49 * edit *

こんにちは~~~♪

大勢の従兄弟さん方と仲良く、同じような時代背景で過ごされてきたことは、やっぱり宝ですよね。

私の小さなころに、父が従兄弟会に出かけていました。
確か総勢47名。
けっこうな数ですよね。
けど、その子供たちは、もう遠くの他人状態です。

窓 #C6mduWPs | URL | 2017/09/07 15:06 * edit *

窓さんへ

凄い数ですよねえ。
昔は子供の数が多かったですからね。

あんまり多くなると、まとまるのも難しいかもしれません。
私にはちょうどの数で、懐かしいです。

お千 #gAPsy9.E | URL | 2017/09/07 16:19 * edit *

最近は 夏休み明けに命を絶つ子供が多い様ですね。
コミュニケーションを上手く取れない子供が
増えているのでしょうか…。

子供の頃のお千さんは
既に社会勉強していたのですね。

昔の子供の方が 親戚の死とかに直面する機会が沢山あって
だから命の大切さを知り 相手に優しくなれる。


そして 今ほど命を粗末にはしなかった様に思います。


人には持って生まれた宿命みたいなものが有って
残念な死に方をした方を思い遣るお千さんの優しい気持ち、
其の方たちの何よりの供養になると思います。







そう言う意味で 昔の大家族はコミュニケーションを
自然に覚える場でも有りましたね。





優 #- | URL | 2017/09/07 21:13 * edit *

優さんへ

大家族、お世話する方には大変ですけど、
色々な意味ではいいことがいっぱいだったようですね。

宿命と言ってしまえばそうですが、あまりにも不幸。
あまりに見近くで起こるとちょっと戸惑ってしまいます。
残された私たちのしなければいけないことも見えてきますけど。

優しいお言葉を、ありがとうございます。

お千 #gAPsy9.E | URL | 2017/09/08 09:05 * edit *

戦後の家族状況・・・私には解る気がします。
父がいなくても、母がいなくても大変な時代でした。
まして農家だとすると労力でしたからね。
いわば私もそのとばっちり?!で養家に行くことになったのですから。
実姉は、中学卒業で地元就職しました。

ただ、寿命だけは分かりません。
もちろん、貧しさ故食べるものにも不自由した時代ではありましたが・・・
私は、寿命だけは神様の領域と思う事にしています。
死にたいとは思いませんが(笑)寿命は仕方ありませんよね。

cat-korokoro #PyA865YY | URL | 2017/09/09 17:40 * edit *

コロコロさんへ

コロコロさんもいろいろおありでしたものね。
キチンと乗り越えられる人ですから、荷物が大きかったのかもしれません。そして寿命は神の領域かもしれません。

寿命の分精一杯生きるしかありません。
お互いにできるだけ楽しい方向を向いて生きていけたらいいですね。

私の先に逝った従姉妹たちは精いっぱい生きたと思っています。

お千 #gAPsy9.E | URL | 2017/09/09 22:31 * edit *

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