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千のブログ

気ままでお気楽な写真と徒然の想いを綴っています。暇を見つけた時は時代小説を書いています。

跡継ぎ 

時代小説を書くに至って、よく耳にする「部屋住み」という言葉を調べてみました。

「部屋住み」とは嫡男の家督を相続するまでの身分、なのですが、
江戸時代は、個人より「家」に重きを置いています。
家を継ぐ、家を潰すなど物事も家を第一に考えました。

家は普通嫡男が跡を継ぐのですが、現代のように生まれた子どものほとんどが育つという時代ではなく、
子どもの生存率は50%と言われていました。
だから、家の存続のために、次男三男が必要だったわけです。
この次男三男の身分も「部屋住み」でした。

嫡男が丈夫で、特に愚鈍でなければ、次男三男は不要になるのです。

武家の家では、普通次男三男に嫁を迎えることはありませんでした。
これは〔家督争い」を防ぐためでもあったわけです。

また、武家の家でも、子どもに恵まれない家、女子ばかりの家もあったわけで、
養子に行ったり、婿に行ったりして、次男三男は部屋住みの身分を脱する人もいました。
それがなければ一生部屋住みの身分で、兄の厄介者として、家来のように一生を終えることになるのです。

この家を継ぐということは、時代小説の中ばかりでもなく、又武士の家だけでもはありません。
現代まで引き継がれているようですが、少しずつ諸事情により薄れてきているように思います。

私は小さい頃、病弱な母が弟を生んだのち、弟が動き回るようになると、追っかけまわす世話が
病弱な体ではできそうにないと父と話しているのを聞いてしまいました。
母の話によると私はそのとき5歳だったのですが、だいぶおませだったようで、
自分から弟の世話を買って出ました。
弟は可愛かったし、病弱の母に負担をかけたくなかったし、幼稚園にも行って
なったので時間はたっぷりありましたから。

後になって思ったのですが、そんな病弱な母はなんでもう一人と、子どもを産んだのだろうと。
後の話から推測すると、できてしまったのではなくて、どうしても必要だったらしいのです。

兄弟は、兄、姉、私、弟の4人でしたが、
兄が生まれた時は跡継ぎができたとそれは喜んでお祝いをしたそうです。
で、もう一人男の子を、と望んだのですが、姉が生まれました。
「女の子も一人は要る」ということでお祝いをし、三番目に男の子を望みました。

ところが私だったわけで、病弱な母はもう一人男の子を生まなければならなかったのです。

私は子供心に、弟に、
「もし私が男の子だったら、あんたは生まれてなかったよ」
なんて意地悪なことを言っていたように思います。多分周りの大人の話を聞きかじったせいです。

弟にとって、なんと可愛そうな言葉ではないですか、でも私は弟をそれは可愛がったそうなので、
その辺は許してもらえるだろうと。

なんでそこまで男の子を望んだかと。
家を継ぐことにあったのです。
家の存続が第一なのですが、そして人は老いるのです。
老いた後は長老として家の跡継ぎがその一生を看取ることも役目の一つであったように思います。

ところが、最近は家を継ぐ、家を守るという感覚が薄れてきていませんか。
色々原因はあると思いますが、良かったのか、悪かったのかわかりません。
年金なるものもできて、親は子供と同居しなくても体が動くうちは親だけで生きていけるようになりました。
孤独死もよく耳にします。

そして女性の社会進出です。
家を守ってゆくのが女の務めという感覚が薄れつつあります。

この時代の流れ、日本はどう変わってゆくのでしょう。
女性が男性と等しく社会に出て生きてゆくのは頼もしくもあり、寂しくも感じるこの頃です。


ルリビタキ メス
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ヤマガラ
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アオゲラ
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ジョウビタキ メス
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コゲラ オス
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イソヒヨドリ ♂
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2017/03/09 Thu. 00:05 | trackback: -- | comment: 8edit