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千のブログ

気ままでお気楽な写真と徒然の想いを綴っています。暇を見つけた時は時代小説を書いています。

母の子供 

母は褒め上手だった。
褒めて子供を伸ばすのが得意だった。
母の話を聞いていると、私たち4人兄弟はどんな素晴らしい子かと思えるほどだった。
考えてみれば普通の善良な子だっただけだけど。

母は体が弱かった。よく寝込んでいたから、弟が生まれた時、
5歳の私は私が母親にならなければと、幼心に思ったほどだった。
母は自分を絶対に優れた人間だとは言わなかった。

手先が器用だったことは、ぼんやりしている私にもわかった。
色が黒く、目のぱっちりした、長い睫の持ち主だったが、
この時代の娘は「色の白いは七難隠す」と言われたほど、色の白さがもてはやされた。

母は黒い自分を恥じながら、暮らしてきたようだ。
今なら褐色の健康肌として羨ましがられただろうが。

第一子の兄は母にそっくりの健康的な黒い肌に長い睫の大きな目の子だった。
二子の姉は、父に似てそれは白い肌をしていたが、目の小さいぽっちゃりした子だった。
第三子の私は、父と母の中間の肌色で、姉と同じく小さい目にまつ毛など探さねばわからないほどだった。
第四子の弟は色白だったが、私たちと同じ感じで、髪の毛がテンプルちゃんだった。

母は女の子である私と姉が、自分に似て黒い肌をしてなかったことをどんなに喜んだか。
でも私と姉は大きくなるにつれて、母の器用さと、大きな目、長い睫がとても羨ましかった。

馬鹿な私だが、何かできることがあると母はすごく褒めてくれるので、
結婚するぐらいの年になるまで、自分は賢いのだと勘違いをしていた。

そして自分の進路を漠然と考え始めた時、看護婦(師)になりたいと思った。
同級生の前で口に出すと、
「あなたは無理よ、身長が150センチ以上ないとなれないのよ。
だって、ベットの向こうまで手が届かないでしょう」と、言われた。
それには少し身長が足りない私は、なるほどとそのまま信じて諦めてしまった。

その程度の望みだったと言えばそれまでだが、その頃から生きることにしたたかさを持っている人は、
一人でも競争相手を蹴落としたかったのだろう。

私はおろかにも勉強しかできない子だった。
理科もオームの法則も、ペーパーテストでは100点をとっても、
実際線をつなぐこともアースをすることもできない、実践力ゼロだった。
紙の上の電池を組み合すことができても、実際の電池に触るのさえも苦手だった。

しかも、家庭的ではなかった。掃除、片付けは大の苦手、料理だけは食いしん坊が
幸いして普通にできるだけだ。
こんな私でも学生時代は怖いものなしで生きてきた。

母はこんな私をどう思ったのだろう。
多分この子は家庭に入ってもうまく生きていけないだろう。
すぐに離婚なんてことになって、子供でもいてたら辛い思いをするだろう。
そんなことを思ったのではないか。

「あのねお千、女が結婚しても仕事を持っていたら、例え旦那さんが病気になっても、
不幸にして病気や事故で亡くなっても、子供を抱えて路頭に迷わなくてすむ。
いい仕事と思っても若いうちだけしかできない仕事は止めた方がいい、年がいっても
続けることができて、給料も年とともに上がっていく仕事にすれば、何かあっても辛い思いをしなくてすむよ」

そう言った。お前は家庭的でないから、実践力が弱いから、本当は賢くないんだからといった
マイナスの言葉は一切使わなかった。
そして母が薦めるまま、公務員試験を受けた。

郷里は小さな田舎町で、大きな企業はなかった。男子はたいがい大阪や東京の大学や企業に去っていった。
だから公務員試験の競争率は高かった。
そして試験だけでなく、コネもなければというものだった。
コネも議員か、職員なら部長以上という情報も得た。

いつも選挙の時に頼みにくる祖母の従兄という議員に頼みに行った。

議員の小父さんは
「昔やったら、わしの一言で職員にしてやれたが、この頃はなりたい人が多くて、
それができんようになった。せめて一次試験の学科に通ったら後はわしがどないでもしてあげる」
そう言った。
男子は一次試験に400人中60人ほど通る。
女子は受験者が多くて、800人中10人である。
女子は難しくてとても通ると思わなかったのであろう。

父の職業は職人で、今と違ってその当時は、貧しくて高校に行けない子か、
勉強が嫌いか、できない子しかならないような職だった。
その娘であるから、小父さんの思いは一般的であったと思う。

ところが一次試験に通ってしまった。
私がペーパーテストには強いことを小父さんは知らなかったから、慌てたようだ。
10人中、職員になれるのは4人。
10人すべてにコネがあれば、成績が5位以下では無理なのだ。

慌てた小父さんは、職員課の顔見知りに私の成績を尋ねたと言った。
そして、叔父さんのコネと私のペーパーテストの強さが効いて、職員になった。

両親は喜んでくれた。
母はこれで、もし私が離婚しても、子持ちでも何とか生きていけるだろうと安堵したと思う。

でも、4年で公務員を辞めた。
父は止めることは反対しなかったが、大阪へ出ることを反対した。
母は以外にも反対しなかった。

でも今は思う。入るのは難しかったが、私には一番公務員が楽だった。
それからいくつか仕事を持ったが、入社が楽な仕事は入ってからしんどかった。
何しろ実践力ゼロの上に、気が付かないときている。
よく気が付く夫などは、私がわざと気が付かないふりをしてると思う位気が付かない。
何しろこれ以上リラックスすると、寝るしかない人間だから、夫が認知できる番外編なのだ。

母のアドバイスは正しかった。
母の教えを守らなかった私だが、母は何も言わなかった。
親の教えに従わない子はたくさんいる。
その罰はすべて子が背負わなければならない。

母の目に、私はどんなに映っていただろう。

しかし、母の私を見る目は、優しい。




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2013/07/29 Mon. 17:07 | trackback: 0 | comment: 2edit