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千のブログ

気ままでお気楽な写真と徒然の想いを綴っています。暇を見つけた時は時代小説を書いています。

帰省 

休みを希望したわけではなかったが、たまたま仕事上の月末が4連休になっていた。
しばらく母の顔を見てなかったので、思い立って帰ることにした。

今回は夫はお留守番、私一人で大阪の阪急3番街から遠距離バスで。
平日は凄く空いてるし、結構快適で旅費が安い。
一番空いていた時は、客は私のほかに女性客が一人だけのときがあった。
さすががこのときは、運転手さんと二人きりでなくてよかったと思いました。

でも完全に赤字、ETCを通り抜けるときに運賃を告げる機械の声。
ああ、高速代も出てない、運転手さんの給料や燃料代、車の減価償却なんか考えていたら、
気の毒で。でもその後は結構乗客が多くて、よかったと思いました。
ずっと赤字だったら、続いていませんでしょうから。

母は御年91歳。
もう去年帰ったときは私が誰かわかりませんでした。
名前を言ったら、少しだけ表情が変わりましたが、すぐ私がいることを忘れてしまいます。
2年ほど前までは顔を見ると、とても嬉しそうでした。
だから帰り甲斐もあったのですが、それからは私が母の顔を見るという満足だけでした。

今回も何も期待していませんでした。
一日目の夕方着いて、兄のお迎えで、兄の家に。
私たちが育った家はもうありませんし、違う場所に兄は家を建てました。

街も42年も経つと、すっかり変わって、懐かしい建物は少ししか目に入りません。
翌日は義兄が私のために休みを取って、迎えに来てくれて母の病院に行く予定でしたが、
兄が送ってくれて、病院で姉夫婦と待ち合わせということになりました。

予定より早く病院に行ったので、姉夫婦が来るまでの1時間母と二人きりでした。
着いたときは母はリハビリー室に居ました。そうとう手先は器用だった母ですが、
もう一人で靴下も履けなくて、補助器具に助けてもらってやっと履けました。

リハビリーが終わって、医師がお日様の当たるところへ連れて行ってあげてくださいとのことでしたので、
花壇のある広いベランダに、車椅子のまま連れて行きました。
「だれ?」私を指差して訪ねると、「娘、長女」。
私は次女ですが、娘であることがわかってくれて、今日は調子が良いぞと思いました。

体をさすり始めると、すぐ「もうえい」と言います。
ちょっと張り切ってさすったので「痛い?」と訊ねると、「気持ちいい」と言うのです。
で、無視してさすっていると、「気持ちいい」と訊ねもしないのに言う。
でもまたいいと言うのです。
母は自分の気持ちよさより、相手のしんどさを考える人でした。この場合無視!

私が普段整骨院でやってもらっていることを参考に、腕や足を延ばしたり、
座りっきりのお腰を片方ずつ持ち上げて、マッサージ。
血が全身にまわらなくて手足が冷たくなっていますから、血の流れが少しでもよくなるようにあれこれ。

でもこの成果はすぐに現われました。1時間ほどしてやってきた姉の名前が正確に言えました。
義兄は私の夫の名前を言いました。私は?母が育てた内孫の名前を言った。
前回は私たちに囲まれると、見知らぬ人たちの中にいるように恐怖の表情でしたから。

「義兄さんでも夫でも、婿はあってるじゃない、姉はちゃんとわかっているし、私が孫でも
身内には違いないし、今日は調子良いから、おばあちゃんの大好きな海老うどんを食べに行こう」

みんな大賛成で義兄さんの車に、車椅子を積み込んで出かけた。
喜んで海老うどんを食べたことは言うまでもありません。
でも、病院に帰ってきたときには母はすべてを忘れているのです。

それでも、今回は母の調子がよくて本当によかった。
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2012/09/22 Sat. 16:52 | trackback: 0 | comment: 2edit