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千のブログ

気ままでお気楽な写真と徒然の想いを綴っています。暇を見つけた時は時代小説を書いています。

線路脇に佇む父 

私は23歳の時大阪に出てきました。

それまで、ちゃんといい仕事についていました。
貧しい中で私たち4人の子供たちを育てた両親は、私についてはやっと一安心というところだったと思います。

私は若くて青かったということでしょう。難しいと言われていた仕事に案外すっと入れて、
いい気になっていたのだと思います。

その頃PCの走り、電子計算機が登場していました。媒体は何と紙テープ。
大企業でも取り入れているところは少なかったものです。
そこに配属されて、室長の指令のもと、プログラムを組み、給与計算から、様々な仕事を
計算機に載せるプログラムを組む仕事をしていました。

プログラムは最初、数字で組みました。テープの穴の位置で文字を読むことができる初期の初期でした。
私は数字をいじるのが好きでしたから、結構楽しかった。
そして研修で、大阪まで出張したこともあります。
そこで知り合った方が、こんな仕事苦手で、嫌いだと言っていたのを覚えています。
やっぱり人には向き不向き、好き嫌いはあると、後になってよくわかりました。

私はこの仕事がしたくて、大阪に出てきました。
母は好きにしなさいと言ってくれましたが、父は反対しました。
今ならわかります。
若い娘が都会に出て、そんなにうまく仕事がゆくわけがないとか、悪い男に騙されはしないかとか、
心配したと思います。今仕事がないわけではない、安定したいい仕事があるのに、
それを捨ててまで、不安定な未来に進むのをすごく心配したのだと。
でも私は、自分の意志を通しました。
私が大阪に旅立った日、丁度その線路沿いで仕事をしていた父は、私を載せた列車が通り過ぎた線路わきに立って、
その列車の消えていった先をずっと見ていたと、後になって一緒に仕事していた兄に聞きました。

その時の父の気持ち、今ならわかります。
お父さん御免なさい。
私が傍にいたら、心配もかけずにお父さんの老後もいっしょにいて、話し相手にもなれただろうに。

大阪に出る前でしたが、計算機もどんどん大型化してゆき、媒体もカードが使われるようになりました。
そのころ病院のレセプト(医療報酬の請求明細書)を、作成するプログラムを組むために、
レセプトとは何ぞやということで、病院の外科外来で勤めたりしました。

そのうち、これはこれからの仕事で、私には向いているように思えて、プログラムを組む仕事をするために大阪に出てきたのです。
そして、夫と知り合い、結婚をしました。
計算センターでプログラムを組み、在庫管理や給料計算などの仕事を受けてやっていました.
大変なこともありましたが、辛いと思ったことはありませんでした。

が、そんな仕事をしていて、最先端のプログラムを組む仕事ができるわけがないのです。
私はプログラマーの仕事から離れました。
家庭と事務職、自営、それからパートの仕事、定年まで勤めることができました。

定年を迎える最後の一年、私は医療事務の資格を通信講座で持っていたので、薬局で勤めました。
その時に、40数年ぶりにレセプトコンピューターに出会いました。
あのレセプトがコンピューター化されていたのです。当然のことではありますが、感慨深いものがありました。
ここまで、あのレセプトがコンピューター化、その一語でした。

プログラマーの夢を抱いて故郷を離れる娘を、線路脇で見送ってくれていた父と、それ以来触れることのなかったレセプトコンピューターを
人生最後の職場で使った因縁が少し悲しくも思える。

でも父は母と共に大阪に何度か来てくれて、私たちの二人の子供をそれは愛おしそうに抱いてくれた姿を思い出すと、
慰められる思いもあるのです。





コツコツと木をつついていますから音で存在がわかりやすいです。日本で一番小さなキツツキさん。
「コゲラ」
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「水蓮」
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「スズメ」
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2017/06/18 Sun. 00:00 | trackback: -- | comment: 10edit

年相応 

年々加齢による不具合も出てきて、年を取るとはこういうことかと、思い知らされている毎日ですが、
ひとつだけ、その影響が出ないことがありました。
睡眠です。
母の話によると、朝は早くから目が覚めるし、夜中に目覚めたら、後は寝られない、ということでした。

ところが私は眠くて眠くて、朝起きられないのです。
目覚ましを15分ずらして2回。各々にスヌーズを3分おきに5回付けてあるので、全部鳴ると
12回鳴るわけです。

だいたい1回目で目覚めて、消して又うとうとというのがパターンなのですが、
去年の暮れから今年にかけて、2回全く気が付かないことがありました。

「目覚まし故障?」
「ず~と鳴っとったで~~」
横で夫。
「え~~~?」
12回全然気づかないなんて!あちゃ~~!

ありえへん!

私が目覚ましで起きられないこと、たまにあるので、夫も驚きません。
それに仕事に遅れるわけでもないし。起こしもしない。
夫は目覚ましなどかける必要がない人で、いつでも起きられるし、小さな音でもすぐ起きます。
12回鳴っても起きない人に只々呆れているだけ。

お互いがお互いを ありえへん人で
この組み合わせも又  ありえへん! なのです。

それがです、ここ数週間ほど前、目覚ましがなくても、起床時間に起きることができました。
一度で目覚めることもたびたび。
やはり年相応に近づいてきているような。
嬉しいような悲しいような。

でも、目覚ましはもう少しかけておきます。
寝過ごすと、家事にも散歩にも支障を来たします。

やっぱり、規則正しい生活!!


散歩道の駐車場を上がったすぐのところで、タンポポと戯れていました。
「黄蝶」
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お馴染のスズメ
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「カワラヒワ」
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「シジュウガラ」
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2017/06/15 Thu. 00:00 | trackback: -- | comment: 6edit

授業より大切!? 

前回ブログで書きましたが、私たちは上高地をはじめとして信州各地の大自然を見ることが大好きでした。
仕事は自営業だったので、あまり長い休みは取れません。
でも年に3~4度程数日の休みを取りましたが、夏休み冬休みの他は、学校を休ませていました。
ちょっと引っかかるところもありましたが、そうしていたのです。

学校の先生も何もおっしゃらなかったのですが、上の子が中学2年の時に、
「来年は高校受験を控えた大事な時なので、休ませないでほしい」と、言われました。
それでそのようにしていたのですが、ある人にこの話をしたら、
「授業を受けるより、こんな大自然を見せるほうがよっぽど意義がある」と言われました。

私たちも自分の学生時代の経験から、なんとなくそう思っていたのですが、
同じような考えの人もいるのだなあと思った次第。

学校の授業は大切なのですが、うまく言えないけど何か足りないような気がする。
自分のことを振り返っても、学校で習ったことで役に立ったものもあるけど、なんか違和感がある。
好きで、勝手に調べて、掴んだものの方が役に立っている。

学校で、自分の好きなものを見つけて、それを生かす方向を見つけていくのが目的なら、学校は素晴らしい、と思えるのだけれど。
何か少し違うような気がする。

ふと『窓際のとっとちゃん』を、思い出した。
あの学習方法なら、私の疑問を的確に解決してくれる。


もうお馴染になってきましたが、夏鳥の「キビタキ」
私の大好きな鳥です。
去年は写真のお仲間たちのほとんどが、見たよ!というのに、私は見たことがありませんでした。
もう夏鳥が去ってしまう最後ともいえる日に、初めて見かけて写真を撮りました。
その嬉しかった思いが尾を引いているのかもしれません。
今年はよく見つけることができています。
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「カワラヒワ」
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スッピン、スッピンと鳴きます。「シジュウガラ」
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飛翔、ラッキーな時はこんな場面が写せます。
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お馴染のスズメ
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2017/06/09 Fri. 00:00 | trackback: -- | comment: 8edit

親は元気で留守がいい! 

私たちは若かりし時代にはただただ働くだけでせい一杯の生活をしていた。
長男がまだ小学生だった頃、ある知人から、信州や上高地を紹介されて、行ってみた。

大都会ばかりに住んでいたわけではない、私も子供の頃は小さな漁村暮らし、
夫も大阪でもまだ交通も人ものんびりしていたところに住んでいた。

でも信州は違った。空の色から空気まで。
上高地に至っては、ただ目を見張るばかり。
雄大な山並み、梓川の澄み切った冷たい水の流れ、絵のように美しい穂高岳連峰。

この美しさに魅せられて、年に数度、上高地を訪れるようになった。
景色ばかりではなく、登山も試みるようになっていった。
子どもたちが小さいうちはみんなで行ったが、息子が中学になると、
学校の先生よりストップがかかった。
高校受験があるので、中2くらいからは、学校を休ませないでほしいと言われた。

で、夫と二人で行くこともあった。
留守番は子供二人で、普通なら心許なくておいていけないのだが、
息子と娘は年が8歳違う。

息子は背格好も大人に近く腕力もある。娘は簡単な料理ぐらいはできるから、
食材さえ置いておけば、息子に言わせば、「うまいものを食わせてくれる」なのであった。

それでも心配で、パーキングからや、着いてから、時々電話を入れるのだが、
「大丈夫、ちゃんとやってるから」
「ピアはめちゃうまいもん、食わせてくれてるよ!」
と、すこぶる上機嫌。
しまいには、
「親は元気で留守がいい!」
などと言う始末。

うむっ、どっかで聞いたことある言葉。

『亭主元気で留守がいい』!というのがある。

しっかりしてきたと喜ぶべきか、
親の介入を反省すべきか、

悩むことばであった。


うぐいす
じみで、木や葉の影に隠れてなかなか見つけにくいのだが、
初夏が近づくと枝に止まることが増えてくる。
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オオルリ
この時はとても高いところに居て撮りにくかった。それに、若鳥なので頭や羽根が、まだ青くなりきっていないし。
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2017/06/06 Tue. 00:00 | trackback: -- | comment: 6edit

子どもの心 

断捨離もボチボチとやっています。
机の引き出しから、古いレポート用紙が出てきました。
中には日記のように、その時にあったことが書かれていました。

私のことですから、ずっとは書いていません。
その時思ったことを書き止めてありました。

上の男の子のこと。
小学校低学年の時。
夫と3人でテレビの漫画を見ながらご飯を食べていました。

夫 「主人公のお母さん、ものすごい美人や。あんなお母さんがいいなあ、なあ」
息子に同意を求める夫。
息子「お父さんだけ行けば」
私、にんまり。

さすが、我が息子!
それにしても、今と全然変わっていない夫。昔からこんなんだったんだ。

娘が幼稚園、年中か年長の頃。
お父さんの誕生日前夜。
お酒飲んで寝てしまった夫のそばで、娘が何かしている。

お父さんの古い、下取りもしてもらえないカメラをラッピングして、ハートの絵など糊で付けている。
それを枕元に置いてから、寝てしまった。
朝、私が起きるのを待ちかねて、早起きしてきた娘。
「お父さん、喜ぶかなあ?」
お父さんの喜ぶ顔がみたくて、わくわくしながら、待っている。

娘がラッピングしたカメラは、下取りもしてもらえないおもちゃに毛が生えたようなもので、
娘のおもちゃ箱に放り込んであったもの。
夫にすれば、小さい頃からカメラに馴染んで、大きくなったら一緒に撮影に行きたい下心があったかもしれない。
まだ小さい娘は、お父さんはカメラが大好き!だと、思っていた。

子どもって可愛いなあ、つくづく思いました。

結果は?

それは書いてなかったけれど、たぶん、はぁ?と思った夫が、
ワンテンポ遅れて、喜んでお礼を言ったのではなかったかしら。


ウグイス
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ツツジ
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スズメ
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タンポポ
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テントウムシ
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2017/06/03 Sat. 00:00 | trackback: -- | comment: 2edit