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お千のブログ

気ままでお気楽な写真と徒然の想いを綴っています。暇を見つけた時は時代小説を書いています。

父と母の顔 

顔の話、第2段です。

私の母は、大正10年生まれ。
その頃の素敵な女性は「色白」だったそうな。

色の白いは七難隠す

などと言われた時代です。

ところが母は色黒。
とても嫌だったようです。

で、人を見るときはまず色の白さが気になるようで、
「お千、さっき友達が来てたけど、えーと、名前忘れた、色のものすごく白い……」
「ああ、Nちゃん?」
「そうそう、Nちゃん!」
と、こういった具合に人の特徴はまず色の白さ、黒さからでした。

母は、色黒にコンプレックスが強かったようですが、私から見ると、とにかく目元のくっきりした顔で、
私は母のその大きな目と長いまつ毛がほしかったのですが、それを受け継いだのは、兄一人でした。

母が父と結婚して初めて授かった子供が兄です。
自分にそっくりな、色の黒い子を見て、男の子だから、まあいいか、と思ったそうな。

2番目の子の姉は、父親そっくりの雪のように白い肌をした子どもでした。
母は色の白い女の子が生まれたと、それは喜びました。

が、母の姑に当たる、父の母は、「M(兄)は男の子やきこんなに目元がぱっちりしてなくてもいい、そのぱっちりした目はT子(姉)に欲しかった」と、そう言ったそうです。
母は、自分の経験から、女の子は色の白いに限ると思い込んでいたので、姑の言葉も気にはならなかったみたいでした。
今なら、”小麦色の健康的な肌”なんて言われて、母の少女時代もよかったでしょうけど。

それから40年、私たちは大きな病気をすることもなく育って、家庭を持った後、
私たちの大好きな父は黄泉へと旅立ちました。
兄57歳、姉55歳、私53歳の年の暮れでした。

父が亡くなったお通夜の日。
私たち3人に弟を加えて、兄弟姉妹4人と、父の娘婿2人の、計6人が夜伽をすることになりました。

父の思い出を話していたら、色の白い父と、色の黒い母の話になりました。
父は本当に色が白かった。
母は色は黒かったけど、あの大きなぱっちりとした目と長いまつ毛が欲しかったと私と姉が言い出しました。

それを受け継いだ兄が羨ましいと。
兄の色の黒さは、精悍な感じがするので、マイナスにはならない。
そんな話が出た時、

「そうそう、お兄ちゃんを見て、友達が、男前のお兄ちゃんの写真をもらってくれないって、頼まれたんよ」
と、姉が思い出したと言いながら、話し出した。
兄は、ちょっと照れたような顔をした。
そういえば、兄は結構格好よかったな、と私も思い出した時、

横から夫が目をこすりながら、
「・・・見る影もない!」

と、ボソ!


全員が、大爆笑!


「ちょっと、お通夜やで」
誰の声だったか、笑い声を消したのですが。


父が亡くなって、みんなで大泣きした後でした。

父が元気な時は、私たち兄弟姉妹が集まって、話して笑い転げるのを、父は嬉しそうに見ていました。

「お父ちゃんは怒ってないよ。みんなで笑い転げるのをいつも嬉しそうに見てたから」
そう言ったら、兄も姉も弟も、頷いていました。


それにしても、夫は、もう

なんで、こんな時まで笑わすの!




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2018/08/26 Sun. 00:00 | trackback: -- | comment: 4edit

化粧で、顔が変わる!? 

まだ40代くらいの頃だったと思う。

よく知っている寿司屋さんから出前を取った。
ご主人が届けてくれたのですが、
玄関に出た私を見て、
「ここの奥さんによう似てはるけど、妹さん?」
と、言われて、
何のことかわからず、一瞬、ぽかんとしていると、
尋ねたらいけないことを尋ねてしまったと思ったのか、首を振りながら、
すぐ、お金を受け取って、帰っていった。

妹さん!?

なんじゃ、それ!

ふと、私は今スッピンであることに気付いた。

化粧してなかったんだ!

だからか~と、思っては見たが、
やっぱり解せない。

私って、そんなに厚化粧をしてるわけではない。
一個のファンデーションが長持ちするのは友人以上だ。
要するに薄化粧である。

そんなに変わる? 妹に間違われるくらい?

妹なんていないし。
少し考えると、

変わるかもね~

そんな気もしてきた。

私の顔って、パーツはすべて付いてはいるけど、影が薄い

とにかく薄くって、ないに等しいものもある。

例えば、眉、まつ毛、目の輪郭、これらはとにかく薄い。
だから、眉は書く、アイラインは細く書く、マスカラは少ないまつ毛に出きるだけボリュームを付ける。

それだけだけど。

う~ん、やっぱり、変わるか!?

そうよね、変わるよね!




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2018/08/21 Tue. 00:00 | trackback: -- | comment: 6edit

好き嫌い 

今の私には、食べ物の好き嫌いはない。
好き嫌いがあったのは中学生くらいまでだったように思う。

一つは茗荷。
これは子供には馴染めないような味だと思う。
大人になると、これを一品入れることで、味がぐっと良くなる料理もある。
今は大好きで、猫の額のような庭に植えている。
去年はここから5~6個ほど収穫したように思う。
今年も茎がどんどん伸びてきたので、収穫しようと、畑に入ったら、もう収穫の時期を逸したのもあった。
丁度の物と、これからの物と、少ないけど、こまめに覗いてみないといけない、自然からの贈り物だから。

次はチーズ
食べず嫌い、だと思う。

子供の頃のおかずと言えば、生、及び煮るか焼くか、で、サラダ類や炒め物などはほとんどなかったような気がする。
今では食べることはできますが、これに先に手を伸ばすことはありません。
残してはいけないときは先に食べてしまうし、残しても大丈夫な時は食べません。
家族の誰かに譲るときが多いです。

あと一つはチョコレート
これが嫌いな人にはお目にかかったことがない。
ほとんどのお子さんは大好きな菓子の筆頭ではないだろうか。

私の場合はこれも食べず嫌い。
昭和22年生まれで、終戦後の物のない時代に育っている。
食べ物がそこそこ出回り始めたのは、昭和30年ごろからのように聞いている。
育ったのは太平洋を前にした高知県の小さな田舎。
後ろは山並みが続いている。
海と砂浜、バスがやっと通れるような道の向こうに、畑があり、その一部に小さな家が建って
いるような集落で育った。

遊ぶ場所は、砂浜か、裏山だった。
砂浜の向こうは太平洋の大海原、魚は捕り放題。
父は5歳の時から病身だった親の代わりに、親の仲間の漁師に連れられて、
海に出ていたようだ。
この漁師仲間は、生活の成り立たない父の家族に、息子の稼ぎだと言って、
魚を分けてくれたという。この頃の人は、貧しいながらも助け合いの精神が強かったように思う。
父が言うには8歳ぐらいの時にはほぼ一人前の働きをしていたという。

家には魚はいつもあった。他にもイモや野菜や、木々になる、柿、梅、ビワなどはあったが、飴玉や菓子などの買わないといけないものはまるでなかった。
だから初めてチョコレートを食べたのは、田舎を離れて、町に出てきてからだから、小学校に通い始めたくらいだったろうか、
体が受け付けなかった。

同じように育った兄や姉はすぐ慣れたようだが、私はなかなかあの味には馴染めなかった。
「チョコレートが嫌い」と言うと、たいていの人がびっくりする。
食べようとずっと努力をしたのですが難しかった。
やっと食べることができたのは、クリームチョコレートを食べてからだったと思う。
今考えると、板チョコの方が食べやすい気がするのですが、こればっかりはなぜかわかりません。

このせいかどうかはわかりませんが、私は子供の頃から虫歯がなかった。
今は治療していない歯がない状態。

こんなことなら、ずっと嫌いなままでいた方がよかったかもなんて思ったりしている。





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2018/07/17 Tue. 00:00 | trackback: -- | comment: 6edit

孫の成長 

ゴールデンウイークになってすぐ、息子一家が来てくれた。

子どもたちを遊ばせて、その帰りにうちで晩御飯でも一緒に食べようということだ。

我が家でご馳走と言えば、「お寿司」である。
それだけでは愛想がないから、息子が前に美味しいと言ってくれたほうれん草の和え物と、
夫が最近盛んに美味しいと言ってる旬の「筍煮」と、新玉ねぎのスライスサラダを添えることにした。

ゴールデンウイークに子供たちが喜ぶ場所と言えば混雑が予想される。
早く出かけて、早く帰っておいでと言ったら、息子たちもその辺は予想していたようで、
思ったより早くやってきた。

遊園地も、途中の道路もほとんど混雑はなかったらしい。
そういえば、私たちが朝のうちに出かけたいつもの散歩道も、土、日はすごい人なのに、それほどではなかった。

多分、帰省組がそれぞれの故郷に帰っていったためではないかと思った。
高速道路などはそれなりに混んでいたのではないかと。

夕ご飯まで、トランプなどをして遊んだ。

下の孫は、工作や絵などを書くのが好きで、芸術家タイプ。
そこで、娘が私用に用意してくれた、猫のデザインの「大人の折り紙」が少し残っていたので、
「折ってみる?」と言ったら、
気に入ったようで早速折り始めた。
流石私より早くて上手。(←バババカ)
ちょっと考え込むところもあったが、ばあばよりは早くきれいに織り上げた。

食事の後片付けを私とママ(息子の嫁さん)で始めたら、上の孫がやってきて手伝ってくれた。
自主的にやってくれたのが嬉しい。(←バババカ)

前回来てくれたときは、まだ遊ぶことに興味がいっていたのに。
そして、この前のお正月は私が入院していたので、我が家ではお正月どころではなかったから、
孫たちの成長に気付かなかった。

とても楽しいゴールデンウイークを過ごすことができた。



散歩道の新緑も少し濃くなってきたように思う。
時が経つのは早い。
気温が上がるにつれて、色々な花も咲き始める。
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2018/04/30 Mon. 00:00 | trackback: -- | comment: 10edit

友人Oさんが、嫁ぐ娘A子ちゃんに送った言葉 

昨今は、長男でも結婚をすると、親と別居するケースが増えています。
母の時代(現在90歳代)では、長男と結婚するとほとんど夫の親と同居していたようです。

この時代は親の権力が強く、又自立できる女性も少なく、お嫁さんによっては、
とても辛い思いをしたと聞いています。

だから自分の娘は長男には嫁がせない、この母の力が、核家族への流れを後押ししたのかも。
そして、自立できる女性が増えたことも。

現在の既婚の男の子を持つ母親は、「昔みたいに嫁いびりなんかしないわよ、仲良くしましょ」
と、息子夫婦が来てくれることを待ち望んでいる。そんな方が多いように思う。

こんな時代、友人Oさんは、嫁ぐ娘A子ちゃんに言ったそうです。
「あなたが嫁いで、1年も2年もこの家に帰ってきてくれなくても、元気でいてくれたらそれで嬉しい。
いつまでたっても私はあなたのお母さんであることに変わりはないわ。
だから、できる限りお婿さんのお母様のところに行って、本当の娘にしてもらいなさい」

このような言葉で、A子ちゃんを送り出したそうです。

息子を持つ母としては、このようなお母さんが育てた娘さんに来てもらいたいと思う方も多いでしょうね。

ところが、A子ちゃんは嫁いですぐしょぼんとしてOさんの所にやってきたそうです。
訳を尋ねてみると、

お姑さんは、息子(A子ちゃんの夫)に、「うちに来るときはA子ちゃんを連れずに一人で来て」
と、言ったそうです。

訳を尋ねてみると、このお姑さんは最近ご主人(A子ちゃんの舅)を亡くされたばかりで、一人で何にもできなくて、
何やかやと息子に相談しているそうな、息子に言わすととても頼りない母親らしいのです。
そんな頼りないところを嫁に見られたくないから、息子に「一人で来て」ということになったらしいのです。

その頼りない姑さんのお気持ちもわからないではないですが、何とももったいない話だと思います。
うまくいかないものですね。

世の中に、Oさんのような嫁の母親が多いと、嫁、姑の多くがもっと仲良くなれるのにね、
と、思ったものでした。


新緑をちりばめた散歩道を、ゆっくりと歩きます
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公園の中央、大池に向かう道です
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大池の周りには、メタセコイアの樹々がたくさん並んでいます
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ちょっと欧風な感じがします
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2018/04/18 Wed. 00:00 | trackback: -- | comment: 7edit