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お千のブログ

気ままでお気楽な写真と徒然の想いを綴っています。暇を見つけた時は時代小説を書いています。

献立と材料 

昔から、副食の多いことを「菜食い貧乏」とか、そういった言葉で、よくは言わなかった。

ところが、
我が家は副食が多かった。
当然貧乏所帯である。

私の定年前の仕事はパートだった。
昼食時にはたくさんの仲間たちと、持参のお弁当を頂く。
話題も様々、結構多いのが子供のこと、そして、今晩のおかず何にしよう?であったような。

「お千さん、昨日は何を作った?」
よく尋ねられた。
たくさん作っているので、どうしても他の方よりレパートリーが広い。

3~4品は答えられるが、還暦も過ぎると忘れっぽい、
「後、忘れた!」
と言うと、
返ってくる返事が、
「ほかにもまだ作ってるん?」
と、
「そんなに作ったら、副食費が凄いやろ?」
であった。

「そうやねえ、○○円ぐらい」
と、言う。
「えっ!うちと変わらへんや」

一品か二品しか作らないと言う主婦が驚いた声を出した。

それはそうである。

献立を決めて、買い物をするか、食材を見て、献立を決めるかの違いである。

献立を決めると、その日の食材の値段にかかわらず、決まった食材を買わないといけない。
だから品数が少なくても高くついてしまう。

私たち主婦のほとんどの方がスーパーで買い物をする。
スーパーは、大概目玉商品があり、それで客寄せをして、他の適性に利益のある商品を売って儲けるのがセオリーである。

私はそれを最大限に利用している。
もちろん消費期限は最優先ではあるが、冷蔵庫、冷凍庫の活用できる今ではそれも利用する。
味が落ちる!?と言われるが、それを感じたことはない。
我が家はあまり上等なものを食べていないためかとも思うが。
そんな時は美食は敵だと思うことにしている。

また同じメーカーの同じ商品でも、スーパーによって値段が違うこともままある。
この商品はここが安いのデーターを頭に入れておく。

特売日に、知り合いに会うと、
「今日はお客さん?」
凄い買い物の量を見て、よく声をかけられた。
そんな時はあいまいに返事をしておいた。

いろいろあった主婦業も、終盤に近付いた。
手術、入院をしてから、夫や娘が家事を手伝ってくれている。
私の出番が少なくなったし、年齢のせいか食べる量も減った。
それに伴って、買い物の量も減ったし、記憶力も減退した。

先日も急におかずを2品ほど作らなくてはならなくなった。
氷温室の肉と、野菜を取り出して、肉を焼くとき、
頭ではなく、手が勝手に料理酒と、しょうがを掴んでいた。

美味しい牛肉ではない。
鶏肉だったし、味より栄養と、ほとんどムネ肉を使っているから、
そのまま焼くとパサパサする。だから料理酒と生姜がうまみをプラスしてくれるのである。

それを頭ではなく手が覚えていることに、我ながら少し驚いた。

習うより慣れろ!

よく言われることは、料理にも当てはまる。
長い間、私には不向きな仕事だと思いながら主婦業をしてきたが、
もう少し前向きにやってきたら、
もっと早く、「献立」と「材料」の関係も、料理のプラスアルファもマスターできたかもしれない。
ただ料理は、「食べるの大好き」という私の強い味方だけが何とか後押しをしてくれて、ここまでやって来れたように思う。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    
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2018/11/19 Mon. 00:21 | trackback: -- | comment: 2edit

元気教室 

寝たきり老人を少なくしようと、十年ほど前から自治体がやっている教室です。
病気にならない、元気で長生きをする、健康寿命を延ばすのを目的としているようです。

ご近所の仲良くしていただいている奥さんと、会うたびに、足腰が痛いなどと話し合っていたのですが、
私が入院手術、そして骨折としばらくの間、お会いしなかったのですが、一か月ほど前にお会いしました。

その時に、「私、足腰の痛いの、治ったよ」と、紹介してくださったのが、自治体主催の「元気教室」でした。
無理な運動ではなく、個々の体の具合を考慮した運動をさせてくれるし、きちんとした理学療法士、言語聴覚療法士、
看護師の方々がいろんな体の動かし方を教えてくれる、そうな。

「私も治ったから、お千さんも受けてみたら、ダメ元よ、無料だし」
と、パンフレットまで持ってきてくださった。

歩くことはずっと続けてきたけれど、なんか他のこともしなければ、と思っていた矢先のことでした。

それで、先日一回目で、入学式を受けてきました。
お聞きした通りの事をしていただけるし、私のように歩行困難や高齢者の方々は送り迎えもしていただけます。
先日も自宅前までお迎えが来て、送り届けてくれました。

雰囲気もいいので、通ってみることにしました。

次回は体力測定、口腔チェック、理学療法士による体のチェックなどが2日間で行われます。

さあ、忙しくなるので、気合を入れて!です。



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2018/11/14 Wed. 12:20 | trackback: -- | comment: 6edit

お父さんとお母さんが離婚したら! 

あるユニークな奥さん。
ご家族は、ご主人と長女、次女、末っ子長男と、ご主人の両親との7人家族です。
子どもたちが、高校生、中学生の時に言ったそうです。

「もし、お父さんとお母さんが離婚したら、誰と暮らす?」
そしたら、長女、
「私、おじいちゃんと暮らす」

次女、
「私、おばあちゃんと」

末っ子長男は、
「僕は、お金をくれたら、一人で暮らす」

との答えでした、と。

「誰も親と暮らすと言えへん」

と、奥さんがぼそり!
つい私は、
「子供にそんな可哀想なこと聞きな!親を選ばすなんて」

と言ったものですが。

まあこの夫婦は離婚しそうになかったからでしょうが、

それにしても、ここの子供たちは、親より一枚も二枚も上手!ですね。
親に反省を促すような反応で、さすがです。


2018/11/08 Thu. 00:03 | trackback: -- | comment: 6edit

時代と共にずれる時間感覚 

私たちが若い頃、昭和40年代は昼夜の区別がちゃんとできていたように思う。
仕事で遅くなって、終電車に乗ったことがありました。

一つの車両に、5~6人くらいの人がいました。
仕事に疲れて、または呑み疲れて眠ってる人たち。
ちょっと危なげなお兄さん。
若かった私は怖くて、降りるまでずっと下を向いていました。

それから40年。
終電車を見かけたことがありました。
朝のラッシュ時のように、椅子に腰かけられなくて、たくさんの人、勿論女性もいましたが、
吊革にぶら下がって、揺られていました。

ビックリでした。

そして知り合いの若いお母さん。同窓会だと言うので、小さい子どもを実母に預けて、
出かけました。帰ってきたのが午前3時。

そんな時間まで営業してるお店があるんだと、またびっくり。

そして、先日母の見舞いに帰省した時、ビジネスホテルに一泊しました。
そしたら、二十歳ぐらいの人10人ほどと同じ階でしたが、夜中の2時ころまで騒いでいました。
眠れない夫が、ドアを開けると、廊下でも話をしていた人がいたので、
「ちょっと、静かにしてもらえませんか」
と言うと、20分ほどして静かになったのですが、結局夫はその音と、疲れで眠れなかったのです。
私?雷が鳴っても眠れるので、寝ていましたが、さすがにその騒音では起きました。

私が物音で目が覚めるって?めったにないことです。それほど騒がしかったのです。

で、信じられないのが、朝、食事に行くのに部屋を出たら、隣の部屋のノブに、「起こさないでください」
という札がぶら下がっていました。

起こしたろうか!

そんな気になりましたね。何という人たち。

いい若者もいる一方で、いるんですね、こんな人たちも。
これは時代の感覚というより、個人の常識や思いやり、躾の部分のような気もします。

小さい頃に私たちのすることにびっくりしてた、祖母を思い出しました。
今度は私たちがびっくりする番になったのですね。




2018/11/01 Thu. 10:51 | trackback: -- | comment: 10edit

母の見舞い 

母は、97歳です。
私が子供の頃から体が弱かった母でしたが、何とか80歳を過ぎたなあと思った頃から、
色々な病気になり手術も何回か受けました。

高齢だったので、高知まで日帰りで様子を見に行ったこともあります。

病気が落ち着いてきた頃から、少しずつ始まっていた認知症が、急にすすんで、
同居していた兄の家族さえわからなくなってしまいました。
だからそばを離れて、50年近く経った私のことなどわかるはずもありません。
それでも、だいたい年に一度くらいは顔を見に帰っていました。

ところがここ4年ぐらい諸事情で帰ることができませんでした。
帰ろうと思うと何かそれを阻む出来事があったのです。
4年前に見た母は、それは痩せて、骨に皮が張り付いているようでした。

あれからどんなになっているのだろうと気になっていました。

兄の家族が近くにいるのだから、何かあれば知らせが来るのはわかっていました。

でも何かあって帰るのではなく、普通に生きている母を見たかったのです。

私の場合は仕事を探しに上阪したわけではありません。
私には過ぎた職場に勤めていましたし、そのまま年をとっても、老後の生活に困ることはなかったのです。

それを私のわがままで、親も、兄弟も、友達も、よくしてくれた職場の人達も,みんな置いて、
大阪に出てきてしまいました。

その時の私の行動にみんな「なんで?」でしたが、母だけは、
「女の子でも、自分がしたいことをすればいい」と、背中を押してくれました。

結局それはできずに、今日に至っていますが。
それでも人並みに、妻になり母になることはできましたが、私の能力の一番劣っているところばかりで、
もがいていたようで、周りの家族にはしんどい思いをさせてしまったかなと。

それはさておいて、
やっと帰って、会った母は、私の想像を、いい方に越えていました。
顔にもそこそこ肉が付き、年相応の穏やかな顔で眠っていました。

母は、耳も聞こえません。
音のない世界で、子供たちの顔も忘れてしまって、どんな思いでいるのだろうと、
思っても仕方がない思いが首をもたげます。

大変な戦争の時代を潜り抜け、結婚をし、子どもを産み育て、
今病んで床に伏しています。

でも念願だった孫と暮らす生活はできました。
その孫たちも覗きに来てくれてるようです。
貧しくても、辛くても、不満を述べない母です。

私は何にもしてあげられなかったけど、
お母ちゃんよかったね。





2018/10/28 Sun. 00:01 | trackback: -- | comment: 6edit